古流松濤派のあゆみ

創流は大正13年、95年のあゆみ

古流松濤派流祖略歴 

   --- 昭和四年発行の「現代花道名鑑」より

 流祖は慶応三年三月一四日、東京芝区桜田久保町(現在の港 区)に生る。徳川幕府御作事支配係御畳方第十三代勝田五郎兵 衞の三女なみ子、32歳のとき岡山藩出納係・長瀬久親に嫁 し、死別後実家に復籍、のち大分の杵築の城主・松平嘉信家に奥女中として5年、故牟田口元学先生(貴族院議員勲三等)の 愛顧を受け、その後も当主にも引き立てられ、花道・盆石の顧問として尽力を被る。

女史は初め古老について漢籍を学び、さらに和歌書道を修め、中年に至り雅道に志し、初め美笑流、古流等を学びしも、大正13年10月古流松濤派を起こし、渋谷公会堂に於いて披露会を催し、また盆石は遠山流よ り出でて旭遠山流を樹立。

茶道は10歳にして表千家教授日本 橋橋場の石塚宗匠について修め、なお田中宗ト宗匠につき裏千 家を研鑽し、現に裏千家今日庵茶号宗美と号す。

社中の研究機 関として松濤会を設け、技術の向上進歩に不断の努力を傾倒しつつありしなり。

           (昭和七年十月十四日没)

流祖 勝田一勝 師
1867生-1929没

↑ 大正十三年 東京市渋谷公会堂にて創流披露会の床の間飾り

↓創流記念の茶会


二世家元 熊野一英 師

1891生-1978没

 明治四十二年美笑流家元美桃軒大野一華師の門に入り、花道、茶道、盆石を学び幹事長として永年尽くす。また古流花道を松梅斎小川理香師に学び大野一華師永眠せられしに依り、流祖勝田一勝と共に古流松濤派花道の創流に参画、昭和四年四月芝美術倶楽部に於いて、二世家元継承披露の花展茶席を催し、およそ五十年間古流松濤派の発展に尽力する。

    (昭和53年11月15日没87歳)


昭和54年3月 三世家元熊野一英 襲名披露